千葉雅也さんの『センスの哲学』を読み終えて、私は「センス」という言葉が、これほど深く、複雑な思考の対象になるとは思いもよりませんでした。
普段、私たちは「センスがいい」「センスがない」といった言葉を軽々しく使いますが、本書はその背後にある、選択や判断、スタイルや生き方に潜む哲学的な構造を丁寧に解き明かしてくれます。
なかでも印象に残ったのは、「センスとは“作らない”という判断にも表れる」という視点です。創作や表現において、何かを生み出すことばかりが重視されがちですが、千葉さんは「やめる判断」や「何もしないこと」にこそ、センスの核心があると語ります。
それは単なる消極性ではなく、過剰な意味づけや過剰な制作から一歩引く、知的で慎重な態度の表れなのだと思いました。私自身も何かを作ろうとするとき、つい“完成させること”ばかりを目指してしまいますが、「作らないことのセンス」があるという発想には、とても励まされました。
また、ドゥルーズ哲学を踏まえた「繰り返しと差異」の概念も非常に示唆的でした。千葉さんは、日常の中で繰り返される行為や判断の中に、わずかな“差異”を見出すことがセンスだと言います。
たとえば、同じような服を着ても、襟の開き具合や丈の微妙な違いが、「その人らしさ」や「今の空気感」を反映する。それは理屈ではなく、反復の中で生まれる感覚的な判断です。
この考え方は、日々の生活や仕事、さらには人間関係にも当てはまるように思いました。
さらに、「中動態的な判断」という発想も、印象に残っています。自分が能動的に判断しているようでいて、実は環境や流れ、無意識のうちに何かに“動かされて”いるような感覚。
それを千葉さんは「中動態」と呼び、センスある判断とはまさにこの“自発と受動のあいだ”で揺れるものだと述べます。
この中間的で、曖昧で、どこか流れに任せているような判断の仕方こそ、現代を生きる私たちに必要な姿勢なのかもしれないと感じました。
全体として『センスの哲学』は、ただのおしゃれ論や感性論ではありません。むしろ、「センスとは生き方そのものをどう組み立てるか」という深い問いかけに満ちた一冊です。
美術や文学に関心のある人はもちろん、日々の選択や判断に迷いがちな人にとっても、自分自身の感覚を信じるためのヒントが多く含まれていると思います。
読み終えた今、自分の中での“判断”の仕方が少し変わったような気がします。
急いで決めなくてもいい、作らなくてもいい、何かを“外す”ことに怯えなくてもいい。そう思えるようになったこと自体が、私にとってのセンスとの新しい付き合い方の始まりかもしれません。